2020年07月
2020年07月31日 23:10
手術後の今ではどうでもいいこと、と言ってしまえばそれまでなんですが私がどう考えているかを示しておくのも読み解きとか何か聞きたいときとかの参考になるかなということで。
もう何年も前に書いたものの焼き直しです。
私が所謂 gid (LGBT の T)を病気としないひとつの理由がそれが 「罹患するものではない」 ということ。 もちろん罹患は病気の部分集合ですからこれは単に「病気だから治す」 という(ある種の原理主義的な)理解のされ方に反しての立ち位置ということになりますね。
また障害か否かというのも(最近では発達障害で同じことが起きていますが)それを伝家の宝刀にする当事者(の精神状態や構造)への反発という意味での否(微妙なところですけどね)。
このあたりは IDC-11 が 2018 年に出て以来意味の無い議論になりましたが 2020 年も終わろうというのに日本では未だ浸透していないようなのが残念です。
あと、対症療法が医学の全てであるかの如く振る舞う西洋医学は片手落ちだと思っており一連の現象が " 必然 " つまりは " (遺伝子の)揺らぎの範疇 " に過ぎないという哲学認識だから否。 という立ち位置です。
ですから極論すると gid だから投薬や手術をしなければいけないという認識は私にはありません(社会的に政治的にというハナシは別として)。 私にあるのはただ …
女で ありたいだけ *1
方便を嫌うほど若くもありませんから現行法で必要ならそれに合わせるに吝かではありません、ということ。 有体に言えば 「目的のためなら手段は選ばない」 というやつです。
ただまあ、社会的に女で通用しなきゃその願望も叶いませんから、そのためにしなきゃいけないことはしますよ、と。
心の深いところでどう考えているかはある程度は分析してありますが今のところは公にすると差し支えそうなので " いずれはお話できるでしょう " ということにさせてください。
*1: ここで言う " 女 " とは何を指すか何故に否定する二元性別で表現するか等の議論は別途。
2020年07月21日 23:15
いつごろかは良く覚えていないんですけどいろいろな方の経緯を見たり聞いたりしているうちに自分が 「私は mtf-ts であって趣味のジョソコ(女装娘と書くと昨今では若い子のイメージなので敢えて)とは違うのよ」 という原理主義に毒されていたことに気が付きました。
これに限らず誰しもが陥りやすい穴ですね。 最近(この文章は 2018/8 に書いてます)は肉体の緊張感が抜けてきただけでなく精神の緊張感も抜けてきたので少し引いたところから眺めるのがデフォルトになり少しはマシ(陥らないで済んでる)かなと感じています。
趣味な方は趣味でいいし mtf-ts な方は ts でいいし性指向もどこ向いててもいいじゃないでいいし悩んでるならハナシくらい聞くよというスタイルになりました(倫理だから権利だからというのではなく)。
まあ呑みなよ的な(笑 。
2020年07月11日 04:50
こーれは賭けですね。 それ以上でも以下でもないと思います。
日本側のスタッフだけの問題ではありませんし、それとて 5 年前と今とで同じとは限りませんから。
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私は直にお会いした感触で決めました。 殊更に持ち上げる訳ではありませんが決定打は人柄と 「大人の対応」 が出来るか否か、ですね。 急いでいたというのもありますし正しいとされているレールには乗れないというか乗る気が無いとかいう事情もありましたから。
私は これに限らず 「何が何でも安く」 とは考えないので、総合的に考えての末です。 結果としてどうだったか、は、もう少し経たないと何とも言えないかな。 まあ、それはまた後日にでも。