自分史

2021年07月18日 18:06

 
これまでに何度か心境というか価値観というか、の大きな変化というか推移というか、がありました。

特に 「アレにドキドキしていたのが無くなった」 というのが多いように思います。



例えば、ムネ。

豊胸前にはブラを付けることにまあある種の背徳感のようなものがありそれもまあ気持ちの良いドキドキでした、わね。 

そんでもって豊胸後。

さて術後の経過も悪くなく患部が落ち着いてきてあぁやっとムネが自分のものになったよ  ウヒヒヒヒ(  という幸福な日々を過ごしているうちに心の変化が、…

何とも思いませんよ毎日のことですし


という感じですか、ね。 副次的というか、もひとつ起こった変化は他の誰か女のムネに興味が無くなったとは言いませんがかなり薄れました。

だって自前のがありますし、何よりも

大概の女のより大きい


んですから。 髪と合わせて絶大なる効果、ですよ( 。 服が透けても大丈夫だし。 谷間を見せつけることだってできます(殆どの男はこれだけで落ちます、笑)。

性格悪いでしょ ? むふふ。



例えば、お化粧。

顔の脱毛が一段落ついて眉も整えたなたら、骨格や肌質を別とすれば普通のメイクができるわけですけどまあ最初は自分が好きな色とか印象に残ってるやつとか憧れのとか、お手本とか教えてくれる人が居ないとそういうものを参考にして、…

やりすぎメイクになるわけです


よ( 。 もっと前の脱毛以前だともっとこってりですけどその顔で白昼往来に出るわけではありませんから置いておきましょう。 でもそのころはドキドキでしたよメイクするだけで。 何かバケモノみたいなのが鏡に映っていたとしても、です。

脱毛後には少しだけ慣れているわけで、それで往来に出たりするわけですけど後になって思えばそれでも十分に変でした、ね。 中学生高校生くらいで見よう見まねでメイクしたのと大差ないレベル(知らんけど)。

しかも首から下も顔のケバさに負けない何か浮いてる服ですよ。 写真が残ってなくて幸いなくらいに。


でもまあ、何か月も続けていれば(毎朝時間も無いことですし)ライトメイクというかナチュラルメイクになり、…

それと共にお化粧でドキドキすることもケバい女の格好(それまではケバいという意識はありませんでしたけど)をすることも無くなりました。 



そんなもんですよね、という話です。

だから 「それを超えないと分からない事」 というのがありますよ、何か執着とかで悩んでいる場合もしかしたら時や段階を進めることで悩みではなくなる 「かも」 知れません、という話でした。




追伸

書いていて思い出したんですけど、ケバかった時期にグロスの赤いマニキュアを唇に塗っていたことがちょくちょくあります。 大口を開けると剥がれますけど。 アイメイクも釣り合うようにしなきゃですが結構、好きでしたというかエロいです( 。 体には悪いと思いますので真似しないように。
 

2020年12月21日 04:23

 
これも だいぶ前のこと。先の 「ひとり旅」 よりは後の話。

とある面識のある mtf さん(単なる tv かも)から ” 男女混合のお泊り旅行 ” に誘われて、伝でしたから あまり深く考えないで参加しました。 集合写真には女( ! )が 11 人写ってますから総勢 25 人くらい居たのかな。

夕食の後で皆が集まったところで初めて、年齢高めの この会の実態が乱交パーティーだということに気づきましたが、今更逃げられません。

何とか(誘われないように飲みなおしたりして)男の方からは逃げ果せ、サッサと寝る部屋に逃げ込んで寝ようとしてたら …

小柄な mtf ちゃんに襲われました。

美形とまではいかないけど ちょっとかわいい仔だったので、しばらく いちゃいちゃしてたら …

人の腹の上で寝るなー


それはさておき参加されてた mtf さん(2010 年代から後だと mtf という感覚じゃないけど女装子とは呼びたくない)半数は私より年上で特定の 「お父さん」 がいらっしゃいました(「彼」 と言うよりは 「パトロン」 と言うほうが近い感じだったから、そういう意味では mtf(狭義)ではなく女装さん、か)。

総じて良いヒト(2010 年以降あたりの mtf はこれに当てはまらない)で 考えがしっかりしてて かつ可愛いです(ブリブリとか媚ではないところで男の方が落ちるのが納得なほどに)。

ほぼ全員と仲良くなりました(私の性指向は女ですからソッチの趣味は合わないんですが)。 という意味ではとても楽しかった。


あと何だっけの社長さんに気に入られたみたいで個別に お誘い頂きました。 ” 横浜駅西口 ” を案内してもらったのもこの方です。

その方の趣味というか性癖を書くとバレそうなので書きませんが、とても綺麗な性癖で紳士な方(私が 「うん」 と言わない限り絶対にそれ以上を求めてこない)でした。 T さん、当時は性指向を越えたところでの お付き合いを考えられなかった(怖かった)自分が残念です(ちょっと後悔してます)。 ご長寿ご健康を祈っております。


おっぱい丸出しの写真とかあるんですけど、もう少し伏せさせてください。
 

2020年12月17日 04:11

 
少し前のエントリで述べたように、ヒゲが無くなれば女の記号として必要なのは髪とムネなわけですから髪は伸ばすとして、次はムネです。

何となれば取り出せば元に戻る(厳密には伸びた皮膚の問題がありますが)わけですから費用の目処がついたところであまり悩まずに豊胸することに決定しました。

ということからも 「自分の(ムネ)が欲しい」 という想いは強かったのではと思います後々考えれば。


初めてクリニックを訪れた時に Dr. に理由とか背景とか聞かれるかと思って身構えていましたが(その頃には)髭も無く髪の長かった私を見るなり

じゃあ、いつにしようか


という感じで拍子抜けでした。

何をどう入れるのかに関しては一人であれこれ試した訳ではありませんしヒトサマのを触りまくった訳でもありませんので何とも言えません。 クリニックにもシガラみとか好き嫌いがあるでしょうね人間だものと考えた上で情報を判断されるのが宜しいかと。

私は生食よりも触感が良いとされていたジェル系のつるつる(多少安価だけど術後マッサージが大変なほう)にしました。

大きさは悩むところでしょうがあまり大きいと一回ではできないとか(好みの)ブラが無いとかいうことになります。

よく何カップとか言う方がいらっしゃいますが、アナタと Dr. が

アンダーバストとカップの関係


をどのくらい知っているか(女でも知らない方が多いです)によって齟齬の程度が変わりますので注意が必要かと。 私は(自分の手で少し余るくらいを想定して)手のひらを上にしてボウルを持つ手つきで 「これくらいで」 とお願いしました( ちなみに当時はダイエット前で ほっちゃり体形でしたからアンダー 85 近くありました )。

途中で大きさの確認ができる術式もありますが何をどこに入れるかに依っては入れた直後と半年後に馴染んでからとで見た感じが変わる場合もありますからこれも頭の隅に置いておいたほうがよろしいかと。

どこに頼むのかも難しいところです。 手術に限らず技術案件は結局のところ個人の哲学と技術(まあ時に体調とか依頼者との相性とか)に依存しますからこれまたそういう目で情報を判断するしかないのかなと思います。

今なら噂の名医だけど予約は取れるという方でもいらっしゃらない限りは、タイの美容外科のほうが安心かなと思います。

まあまあまあちっとも具体的な参考になりゃしないエントリですが少しだけ押さえておきたい点を。

  1.  日帰り手術の場合は帰りに痛み止めを受け取るのを忘れないように
  2.  抜糸まではシャワーもできませんというかムネはぐるぐる巻きです
  3.  確か翌々日から仕事には行ってたように思います
  4.  日帰りでドレイン無しだと暫く血だまりが消えません

痛み止めが切れるとかなーり痛いです。 いえ

とんでもなく痛い

です。

抜糸が済めば(拘縮予防の)マッサージ開始です。 真面目にというかちゃんとやりましょう。 他の例を知らないので大胸筋下の場合にどこまで切り開くのが適切なのかは分かりませんが …

私の場合は外側は体側まで内側は真ん中まで(でも左右は繋がっていない)上は鎖骨の 5cm 下くらいまで下は何て言うんでしょう ? シタチチ( まで切り開いたようです。

術後すぐくらいの時は左の上部に少し皺があるのと左脇に攣れる感じがあったので少し心配もしましたけれど気づいたら(たぶん 2 年以内)どちらも無くなってました。

ただ、脇の下の傷跡は " 三か月ほどで目立たなくなる " とのことでしたがとーんでもない。 一年半ほどでやっと目立たなくはなりましたが酔うとくっきり赤い線が。 でもまあ、今じゃあ全く分かりません。

真面目にぐりぐりした おかげなのか Dr. の技術なのか先祖の供養なのかは分かりませんがとにかく横になればそれなりに流れる(↑ の範囲で自由に動きます)歳不相応に(笑 綺麗な形のムネになっています。

皆様に感謝。

2020年11月17日 04:17

 
旅というほど 大げさなものでは ありませんが、自分史的には一大事というか  転落人生  フルタイム女への雪崩の切っ掛けになった出来事です。


あちこちの サイトやコミュニティのページを見ているうちに、女装さんと mtf さんが混在したような団体の お花見の開催を見つけました。 までは いいんですけど、

さて何と連絡すればいいんだろう ?


となってしまい、ヘタレな私は 何の告知もせずに乱入することに。


服装は OL の合い服(ブラウスにスカートにベスト)に春のコート。 

顔の脱毛は ほぼ終わって(まだ通っていましたけど)から 3 年くらい、豊胸してから 2 年くらい経っておりメイクは 既にナチュラルメイクに収束していたとはいえ、今になって思うと新幹線に乗って当時住んでいた北関東某所から南関東某所まで

一人で行こうなんて度胸は誰にもらったんでしょうねえ


という感じです。

それらしき団体の宴に近づき 「 これ xx のパーティですよね ? 」 と確認して in 。 誰ひとりとして否定的な言動の無いとても楽しい宴でした。


なお記録によると  これに味を占め  この後からしばらくは あちこちのイベントに顔を出す(プロフィールの写真はこの頃のものです)ようになってゆきました、とさ。
 

2020年10月21日 05:47

 
クリニックに行くと 「自分史を書いてください」 あるいは 「持ってきてください」 と言われるわけです。

話には聞いてましたよ。 でも自分がその立場になってみると、


それだけ言われても何をどう書けばいいのかさっぱり分かりません

よ。 書式とか無いんですか ? とかその場で聞かない私がヘタレなんですけど、いえヘタレなんですよ困ったものです。


アテンド会社の誰かに聞こうかとも思いましたが、とりあえずは少し調べてからにすべきだよね、と思って検索するといくつか出てきました。 

とはいえ ftm さんのじゃ内容の参考にはなりません。

少ないながらも(若い) mtf さんのが出てきましたけど、正直なハナシ結婚もしていないような方のじゃ これまた内容の参考にはなりません。

とはいえ両方あわせて眺めたところで、様式的には どうすれば良いのかは何となく分かりました。


ですが問題が片付いた訳ではありません。 一番の問題は信憑性です。

その歴史は本当にそうだったのか、あるいは自分がそう思いたがってるだけなのか、の区別が自分だけでは付かないという点。

これには随分と悩みました。 

でも相手は精神科のお医者さんです。 小細工を弄しても足元を見られるだけと思い、

客観的事実の羅列だけ

で勝負(?)することにしました。
 
項目としては

  1. 家族( 一覧 )
  2. 既往( 2 行だけ )
  3. 生活歴、職歴
  4. そのほか

という感じで 3. のところは年代順に出来事と補足(主観の場合はそれと分かるように)を、4. は現状: 女での生活のほうがのびのびと過ごせる云々 と窮状: 最低でも体と名前を変えないことには生活が行き詰まる云々 を書きました。


自慰や性交やホルモン歴などを分けて書いている方もいらっしゃいましたが私は 3. の中に並べました。 

幼少の違和感に確証が無い(それを訴求できない)私としては 現状と窮状を以って 「何とかしてください」 と。 


まあ結果としては これで通りましたから ひと安心でした 「これで手術が受けられる」 と。

家裁では重要なポイントが少し変わるというか違うんですけど その話は、また別の機会に。
 


2020年10月13日 13:35

 
いえ、事件と言うほどのものではないんですけどね。


顔の脱毛がほぼ終わって眉の手入れを始めた頃かな。 夏休みか何かで子供を連れて実家に遊びに行ったある日のこと。

母親と姉と自分の子(男 6 歳)と スッピンの私でプールに行ったら

全員まとめて 「こちらでーす」 と 女のほうに案内され

ました。

いえ、それだけなんですけどね。

私は服を脱ぐつもりはありませんでしたからどっちでも構わないんですけど、子供は私を父親だと思ってますから 『それはマズいよね』『母も姉も一緒だし』 と男のほうに移りましたよ、念のため(

離婚はしてましたけどムネが入っていたかは記録が残ってないので謎です。 


パス度チェックというのは昔からいろいろありましたが、今は どういうのがあるんでしょう ?

いずれにしろ、お店側の担当者が間違えても自分は困らない(責められない)内容のものは あまり当てにはできないのかな、と思います。


という意味では この件は少し自信になりました。
 


2020年09月17日 09:23

 
私から 「別れようか」 と言い出しました。

当時は手術することが選択肢として視野に入る前のこと。 麻紀さん(カルーセル)のことくらいは知ってましたけど 「性転換」 など別世界のことでした。 「性別違和」 という感覚もありませんでしたね、言葉もありませんでしたけど。 表に出ていなかっただけかも知れませんが。

ですから

性別云々が別れた理由ではない

のです。 別れた理由についての考察は 提出した自分史には書きましたが、それは ここで書いてもヤジウマ的興味以上に役に立つ事でもないと思いますので割愛します。 


すっかり忘れていましたけど、そういえば その前年くらいに少しだけ別居をしていた時期がありました。 その時の 「快楽三昧」「フェチ三昧」 という奔放な生活が最後の一押しになったような気もします。

快楽と自由に負けた

ということになりましょうか。 当時は そんな解釈など考えもしませんでしたけど、いま考えると

私って基本的には奔放

なのかな。 そんでそれを阻害されるとストレスになる、という。 そんな気がします。 そしてたぶん仕事の上でも同じ。


今は 『 元妻を追い込んだのは私でもあるのかな ? 』 とも思っていて結果としては申し訳ない気持ちがあります。 が、…

そんなものですよね人生。 誰が 100% 悪いというわけでもないんです。 ひと息ついたら前を向きましょうよ。
 

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